1000枚のトースト

ささやかな日常をしとやかにシタタカに綴ります

サイフォンでコーヒー

3年前まで朝のコーヒーはサイフォンで淹れていた。

コロナの影響で燃料用アルコールが品薄になったのをきっかけにペーパードリップ式になっていた。

サイフォンの道具一式はキッチンの棚の奥へ。

「いつかまたサイフォンを使ってコーヒーを淹れよう」「もっと気持ちと時間に余裕が出たら…」

ある日ふと「いつか…」って「いつ?」という疑問が湧いてきた。

よし今日からまたサイフォンを使うぞ。

いつも豆を買いに行くお店で「サイフォン用に挽いてください」と言ったら、店長さんちょっと嬉しそうにしていたな。

朝のキッチンは相変わらずぐちゃぐちゃではあるが、そんな中でコポコポとサイフォンが仕事をしている様は中々良いものである。

ゆとりがあるからサイフォンでコーヒー…ではなく、サイフォンでコーヒーを淹れることがゆとりを生むってことなのね。

断捨離でよく耳にする言葉「いつか使う(着る)のいつかは一生来ない」…。

今回はちょっと逆らってみましたぞ。

 

 

意地でも入らない

久しぶりに新幹線に乗る予定が入った。

平日、日帰り。

どこからか「きゅんパス」使うべきでしょという声が聞こえてきた。

一瞬そうしようか…と思ったが止めた。

えきねっとの会員にならなくちゃならない。

えきねっとの会員になると大人の休日倶楽部に誘導されるのはわかっている。

大人の休日倶楽部の次にはジパング倶楽部か…。

えきねっとは数年前、会員だったが脱会した。

理由は忘れてしまったけれど、何かしら使いづらさを感じたのだと思う。

きゅんパスの一万円で乗り放題にクラクラっとしたけれどグッと堪える。

2週間前までに予定を確定なんてできないし、日帰りから1泊2日になるかもしれない。

旅は嫌いじゃない。

だけどガチガチに制約があるのは嫌なのだ。

思いたった時にひょいとお出かけってのがいい。

寅さんのように。

 

 

 

 

やっぱりアナログ

確定申告の季節がきた。

僅かな還付金を受取るために、オットットに代わってワタシが申請している。

昨年まではパソコンから申請することができた。

ただその時、申請書類が上手く保存できなかったこともあり、パソコン買い換え時期ということに気づいた。

そして買い換えることなく一年経過、今日を迎えた。

恐る恐る国税庁のサイトにアクセスし申告書作成のコーナーをクリックしてみた。

ここでストップ。

OSが古くて対応しない。

スマホからアクセスすると「お使いのスマートホンでは申請できません」とのこと。

そう言えばこのスマホではマイナポータルサイトにもアクセス出来ないのであった。

随分と世の中から遅れをとってしまったものだ。

だけど、この為にパソコンやスマホを買い換えるのも癪だし、混雑する申告会場に出かけるのも面倒である。困ったな。

ふと思い立ち、手書き用の申告用紙をダウンロードしてみることにした。

プリンターのインクだけは補充しておいたところなのだ。

無事申告用紙をプリントアウト出来た。

前年の控えを見たり、計算方法がわからないところはググッたりしながら、手書きの申告書が完成した。

前年や前々年のと比べると見栄えは悪いが、どこか味がある。

パソコン入力はもっと煩雑で面倒だったと記憶している。

ストレスも溜り、作業後はどっと疲れたものだ。

来年の為に計算方法をちょこちょこ手書きでメモしておいた。

様式が大きく変わらなければこれで大丈夫。

何故か気が重い確定申告ではあったがお陰でちょっと楽しみになってきたぞ。

アナログっていいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

保険か預金か。

ヘソクリを定期貯金に預けようと郵便局へ出かけた。

簡単に済むと思っていたのに、2〜3分お時間ありますか?と聞かれ、ついあると応えてしまった。

時間の余裕があっても急いでいると応えればよかった。

担当の人の「お若くていらっしゃるので…」という言葉に気を良くしたワタシも悪い。

気がつけば30分もオススメ保険の説明を受け、見積もりまで作成されてしまった。

その時点で保険の契約をするつもりになっていた。

少し頭を冷して考えたくなったので契約は翌日にと約束し帰宅した。

その際、担当の人が発したひと言が耳に残った。

「受取人を何方にするか考えてきてくださいね」。

確かにおトクなようではあるが何故かモヤモヤするぞ。

原因を考えてみた。

ワタシのヘソクリなのにワタシが死んだら保険金を受取るのはオットットだ。

オットットにワタシのヘソクリを遺すことになる。

ワタシの場合は契約後3年程で解約返戻金は元金を上回るとは言うけれど、やはり保険と預金は別物だ。

解約を前提に保険の契約をするってどうなのさ。

保険ならとっくに入っているではないか。

その保険も今後どうしようか昨年あたりから考えていたところだ。

お金は生きているうちにほぼ使いきると心に誓ったばかりだ。

冷静に考え直し、予定通り、最近ちょっぴり金利が上がった定期貯金に預けてきた。

ちょっと遠回りしたけど、スッキリした。

 

 

 

 

 

受け流す努力

最近オットットの実家(「義実家」という表現に全くもって馴染めない)の断捨離をしている。

やる人がいないので、ワタシがちょっとずつ進めるしかないのだ。

十年以上前に亡くなった姑の物もたくさん出てくる。

化粧品などはさっさと不燃ゴミへ。

そんな中、20年以上前の年賀状を見つけた。

姑が当時の友人から受け取った年賀状の添え書きの一言に目が止まった。

「そろそろおばあちゃんになったかな?」

オットットとワタシが結婚して数年後の年賀状だ。

姑は「おばあちゃん」になりたかったと思う。だけどそれに応えることは出来なかった。

胸の奥がチクリとした。

姑の友人にしてみれば何気なく添えた一言、書いたことすら忘れてしまっていることだろう。

もしかしたらもうこの世にはいなくて、今頃

天国で姑と再会しているかもしれない。

姑は当時どんな思いでこの文面を読んだのだろう。

こうしてワタシの目に止まることを想定していただろうか。

ちょっぴり意地悪なところがあったヒトなので、いつかワタシの目に止まればいいという思いもあってわざと残しておいたのかな。

アレアレ、変な方向に思考が向いているぞ。

「何気なく発したひと言がこんなにも他人を傷つけてしまうことがあるんだな。気をつけないとイケナイな」と、いうのが今回得た教訓。

「ずっと昔の事、今更何を言っても仕方ないこと、そんな事でいちいち傷ついてどうする」ってことで、ビリビリ破いてゴミ袋へポイ!

ハイ!サヨナラ〜ッ!

 

 

来年の目標

来年の目標なんて何十年もたててなかった。

今朝、来年こそは何か目標を持って過ごしてみようと思い立ち、その時点で2つたてた。

我ながら素晴らしい目標だとさえ思っていた。

そしてそれらの目標達成は楽勝だと感じてもいた。

ところが夕方にはソレが思い出せなくなっていた。

なんということだ。

ダイエットだったかな?

カップ麺を食べ過ぎないことだっけ?

休肝日を作ることかな?

ちゃんと料理する!だっけ?

節約する…ではないと思う。

エコな生活をする…でもないはず。

猫とちゃんと会話する。

オットットにつっかからないように努める。

…ではなかったと思う。

所詮その程度のことだったとも言える。

ま、いいか。

 

 

 

 

サヨナラ年賀状

年賀状がとにかく苦手だった。

多分、結婚してからその思いは強くなったと思う。

オットットの年賀状を作成するのはワタシの仕事だった。

あまりにも辛いのでバイト代を請求したこともある。

12月に入ると頭の中は年賀状でいっぱい。

その憂鬱なことと言ったら大掃除の比ではない。

数年は喪中も何度かあった上に引っ越しも重なった。それをきっかけに枚数を減らした。

オットットは2年前、正式に「年賀状仕舞い」をした。当然その文面を考えたのはワタシ。

内心「友達少ないのに本当にいいのか?」と思ったけれど、そんなこと知ったこっちゃない。

ワタシの分はフェードアウト&強制終了してしまった。

年賀状仕舞いするのは大袈裟な感じがして抵抗があったのだ。もちろん少し心を痛めてはいる。

先日、数年ぶりに叔母に電話をしたら、以前ワタシ宛に出した年賀状が転居先不明で戻ってきて、とても悲しい思いをしたと責められてしまった。

年賀状を出さないとお正月に「元気でいるか?」とわざわざ電話をかけてくる元上司もいた。

その元上司は昨年の年賀状で自ら年賀状仕舞いをしてきた。申し訳ないがほっとしている。

年賀状、出しても出さなくてもちっとも気にならないヒトになりたかった。

他人とは、受け取った時素直に嬉しいと思える関係、自然に年賀状を送りたいなと思える関係を築いてきたかった。

たかが年賀状でこんなにモヤモヤするワタシは考え過ぎなのだろうか。

年賀状、出さなくなってもこんなにモヤモヤしなくちゃならないって…。

そういうところ全てに渡って苦手だ。

サヨナラ年賀状。