亡き母のことをまた書くことにする。
総合病院を紹介され受診した日、母は担当医に一目惚れした。
名前を呼ばれ、母と妹とワタシの3人で診察室に入った瞬間、3人が考えたことは同じだったと思う。「大当たりっ♫」。
30代前半、俳優の向井理さんを少し小柄にした感じの、とても爽やかな医師だった。
そしてすぐに病名を宣告され、即刻入院し積極的治療に臨むか、治療は諦め家に帰るか…という厳しい選択を迫られた。
母は迷うことなく、積極的治療に臨むことを選択した。
すっかり担当医が気に入ってしまった母は寝ても覚めてもKちゃん(いつの間にかそう呼ぶようになっていた)。話題はKちゃんのことばかりだ。
病室に持ち込むCDは普段聴いている演歌ではなく、オフコース、林部智史になった。
肌着は機能重視のババ臭いのは嫌だ、もっと素敵なのにしてくれと言う。
数ヶ月後、自宅近くの小さな病院へ転院することになった。積極的治療に耐えられる身体ではなくなってしまったのだ。
転院前夜、Kちゃんは母の病室を訪ね、肩を揉んでくれたそうだ。
母の気持ちに精一杯応えてくれたのだと思う。
二週間後、母は旅立った。
母の晩年の闘病生活を思い出す時、浮かんでくるのはお茶目な恋する姿だ。
"人生は最後まで何が起こるかわからない。
思い煩うことなく楽しく生きよ。"
母らしい人生の締めくくり方だったと思う。